ジェラルド・カイパー 天文学者(1905~73)

Kuiper, Gerard Peter 1905~1973 アメリカの天文学者。
オランダ生れ。ライデン大で学位取得後、1933渡米し、’37帰化。リック天文台を経て’47ヤーキス天文台長、’57マクドナルド天文台長、’60アリゾナ月-惑星研究所長を歴任。
その間天王星の第5衛星ミランダ、海王星の第2衛星ネレイドを発見し、さらに両惑星の大気のスペクトルからメタン帯を発見した。初期の宇宙飛行計画にもかかわった。

シルビア・クリステル 女優

フィンセント・ファン・ゴッホ 画家(1853~90)

Gogh, Vincent van 1853~90 オランダの画家。
父は牧師。16歳でハーグの画商に雇われたが、孤独で熱情的な性格が人にうけ入れられず解雇され、語学教師・伝道師として各地を転々とする。
1880年頃貧苦のどん底で画家になる決意を固め、ブリュッセルで絵画技術を学ぶ。レンブラントの影響をうけ、農夫や付近の風景を描く(’85「馬鈴薯を食う人々」等)。’86パリに移り、印象派と日本の浮世絵の技法に強く影響をうけ、モンマルトルの風景・静物・自画像を中心に描く。
’88アルルに赴き<南部印象派>グループ設立を計画、10月ゴーガンとの共同生活をはじめたが破綻、12月<耳切り事件>を起こす。’89幻覚症状が現われ、病院に軟禁。アルル時代は印象派の手法を脱し、明るい黄色・茶色を中心に強烈なタッチで描く(「ひまわり」「プロヴァンスの農夫」等、多数)。5月サン-レミー精神病院に移り、「糸杉」等、内面の苦悩を表わす緑・青の暗い画風が支配的となる。’90ピストル自殺。生存中はほとんど認められなかった(’90「赤いぶどう畑」が生前売れた唯一の絵)が、後期印象派の巨匠としてその後の近代絵画の発展に大きな影響を与えた。(参)H. ペリュショ「ゴッホの生涯」1958。

ルトガー・ハウアー 俳優(1853~90)

フレデリック・フィリップス フィリップス社の創業者

ヨハネス・フェルメール 画家(1632~75)

Vermeer, Johannes 別名V. van Delft 1632~75 オランダの画家。
C. ファブリティウスの弟子。ホーホ・レンブラントの影響もうける。健康で平和な庶民の家庭生活をとりあげた風俗画を描き、19世紀になって認められた。小品で寡作家。(作)「手紙を読む娘」1657?、「デルフトの眺望」「牛乳をつぐ女中」’58~’60頃。

アルベルト・プレスマン KMLオランダ航空創設者

ヤン・デ・ボン 映画監督

レンブラント・ファン・レイン 画家(1606~69)

Rembrandt Harmensz (Harmenszoon) van Rijn (Ryn)  1606~69 オランダの画家。
ライデンの製粉業者の子。1620年ライデン大に学び、’21からとくにヴェネツィア派絵画を学ぶ。’32秀作「チュルプ博士の解剖学講義」で名声を得る。’34結婚。その後妻の死までの約10年間世評は高かった。しかし芸術的世界の深化とともに世俗の嗜好と離れ、’42「夜警」の不評により名声は失墜。以後貧窮の中で独自の光と影の世界を完成させていった。その世界は人間の動物性と神の光との対立、自然主義的写実と形而上学との融合を示す深い造形的世界の開示であり、深みと近代性においてP.P. ルーベンスをしのいでいる。この時代を先取りした明暗技法の近代性が時代に迎えられず、不遇に終わったが、後世には大きな影響を与えた。遺作650点(自画像60点)、エッチング300点、デッサン約2000点がある。

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