エピクロス 哲学者

エピクロス Epikuros 前341(42)~271頃 ヘレニズム時代の哲学者。
サモス島に生れたアテナイ人といわれる。プラトンやデモクリトスの哲学を学び、前306アテナイに学校を開き、終生ここで女性を含む多くの弟子を教え、エピクロス派の祖となる。著作は300巻に上り、精神的快楽を最高善とする。それは身体の無苦痛と魂の平静を意味し、原子論的な自然学によって神々と死への恐怖を除き、国事から離れ、私人として単純な生活を送ることをすすめた。

ソクラテス 哲学者

ソクラテス Sōkratēs 前469(70)~399 ギリシアの哲学者。
石工であったらしいアテナイ人ソフロニスコスの子。妻はクサンティッペ。重装歩兵としてペロポネソス戦争に従軍、前406当番評議員をつとめたが、前399異なる神々を導入し、青年を堕落させたかどで裁判、処刑された。若いとき自然学に興味を抱いたが、少年時代から鋭い宗教的感覚のもち主で、<ソクラテス以上の賢者はいない>とのデルフィの神託を得てから、よい生き方の問題に関心を集中、独特の問答法によって人々の思想を組織的・徹底的に吟味し、彼らに自己の無知を自覚させ、普遍的真理と徳の探求に導き、多くの共鳴者・弟子をもつ。政治上では民主政に批判的だった。

デモクリトス 哲学者

デモクリトス Dēmokritos 前460頃~370頃 ギリシアの哲学者。
アブデラの人。広く各地を回り、レウキッポスに学んだのち、故国に学校をひらき、師の原子論を継承発展させて唯物論の哲学体系を樹立。原子は同質・不可分・不変不滅の小粒子で、形と大きさは無限に異なる。無数の原子が無限の空虚な空間を永遠に運動し、結合・分離や配列・配置の転化を繰り返して、万物は生成・変化・消滅する。霊魂は微細で丸く火的な原子からなり、それらと他の原子との直接の接触がもたらす真の理性的認識が、神々と死への恐怖から人間を解放し、心の精朗さを与える、などと考えた。人間の営みの空しさをつねに笑っていたので、<笑う哲学者>と呼ばれたという。

ピュタゴラス 哲学者

ピュタゴラス Pythagoras 前560頃~480頃 ギリシアの数学者・哲学者。
サモスの生れ。南イタリアのクロトーネに移り宗教学派をつくる。万物のもとを<数>とみ、数量化と同時に現実から離れる宗教的傾向を示した。<ピュタゴラスの定理>は一派の発見。しかしこの定理からは彼らの理解しえぬ数が出現し、これを不合理な数<無理数>と呼んだ。そこで無理数をさけるため、代数を幾何学で解く<幾何学的代数>をはじめ、これが古代ギリシア幾何学の隆盛へつながった。一派のピロラオスは宇宙の中心に火をおく宇宙図を考え、コペルニクスの太陽中心地動説の一つのきっかけとなる。一派はまた数的比例として音響学をとらえ、実験を行なった。

ホメロス 詩人

ホメロス Homēros 生没年不明。前8世紀後半の古代ギリシア最大の叙事詩人。
不明な点が多く、古代より論争の的となったが、今日では2大叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」を仕上げた実在の詩人とみる説が有力。イオニア北部のキオス島・スミルナ等と関係が深く、盲目だったといわれる。「イリアス」はアキレウスの怒りを主題として、トロヤ戦争10年目の51日間の戦いを描き、「オデュッセイア」はトロヤ陥落後10年間海上を放浪したすえ、故郷イタカの妻のもとに戻ったオデュッセウスを語り、両詩編とも言語はおもに古いイオニア方言で、軽快な6脚韻を用い、闊達で激情的、しかも悲劇的な英雄の世界を劇的な美しさでうたった。

マリア・カラス 歌手

カラス Callas, Maria 本名 Calogeropoulos 1923~77 ギリシア人のソプラノ歌手。
アメリカ生れ。移民の子としてニューヨークで育ち、13歳のとき母とともにアテネに行き、アテネ音楽院に学ぶ。1947ヴェローナで「ジョコンダ」に出演して認められる。’49イタリアの実業家メネギーニと結婚。’56離婚。この間イタリア-オペラを中心に現代最高のソプラノ歌手の地位を築く。

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